マジック・ジョンソン選手やジェイソン・リチャードソン選手らを輩出したミシガン州立大学の様子をお届けします。

レプリソーム旅行記 Vol.11 ミシガン州立大学

ミシガン州のどこ?
ミシガン州立大学という名前なので、ミシガン州にあるのは間違いないのですが、詳しい場所はというと・・・。
デトロイトから約150km北西に離れた場所にあります。
ちなみにその中間地点にミシガン大学があります。

とにかく緑
上の地図でいうと、東(地図右)からやってきて、北へ向かう道です。このまま一直線でミシガン州立大学に辿りつけます。
アニメータの画像3枚の通り、とにかく緑が多く、のどかな風景が続きます。


    
入り口での配布物
入り口に到着しました。
かつて、マジック・ジョンソンのビデオでも見たあの校門を目にすると、いちファンとしては感無量です。
この大学では、目的地まで移動しやすいように、外部の人間にも右のようなガイドを配布しています。


    
敷地の広さ
ガイドの地図の部分を広げるとこんな感じです。
の画像中で、緑色になっているところが大学の敷地です。イーストランシングを大きく占め、とても広いことがわかります。
そしての画像から、その広い敷地に密度高く、きめ細かに施設があるのがわかります。

配布物 その2
地図以外の配布物。
ここの大学出身のスティーブ・スミス選手による、チャリティイベント(ゴルフ)のパンフレットです。
母校とのつながりの強さがうかがえます。

やはり緑
敷地内に入っても、やはり緑が多いです。大きな建物も覆ってしまうほどの巨木も見られます。
こう緑が多いと、大学のロゴカラーの緑なのか、木々の色なのか区別がつかなくなるほどです。

駐車
陸上競技場です。ここの目の前にある駐車場に停めます。それにしても、やはり木々が目立ちます。
あんなに遠くに見える木も、写真の通りこれだけ高く写っています。

駐車そして突然ですが・・・
車を駐車場に停めて、アスレチックチームのメモラビリアセンターであるスミス・アカデミックセンターとアリーナを目指します。そして取材終了した時点でトラブルが・・・。

それまでまともに作動していたデジカメに突如、
『(データ記録用の)メモリーカードをフォーマットしますか?』
というメッセージが表示されました。

どう操作しても、このメッセージしか表示されず、撮影が出来ません。
フォーマットを行なうと、それまで撮影したデータ全てが消去されるので、結局フォーマットをせず、メモリーカード日本に持ち帰りましたが、残念ながら一旦こうなってしまうと、デジタル機器はどうすることも出来ません。
データ復旧はなりませんでした。甚だ残念でなりません。

配布物 その3
上のような事情から、もう1つの配布物から写真を引用したいと思います。
画像は、9〜18歳までを対象にしたスパルタンズのキャンプの案内です。
Izzoコーチをはじめとするコーチ陣やスパルタンズの面々が、このキャンプで指導をしてくれる、というものです。

アリーナ
スパルタンズのアリーナです。
建物の左側には、マジック・ジョンソン像が飾られていました(ポーズは同じでしたが、顔はLAの像の方が似ています)。

また、この中には、スミス・アカデミックセンターとは異なり、バスケットボールチームだけを扱ったメモラビリアルームもあります。これまでの回の優勝の軌跡や、輩出したNBA選手について色々な掲載がなされていました。

練習場が一般公開
ちょっと驚いたのが、この練習場の様式。
写真画像の中央の上方に、ガラスばりの窓が見えますが、このガラスの向こうからこの練習場が見えるよう、一般公開されています。

先ほどご説明したメモラビリアルームから出た廊下すぐのところです(の画像は、パンフレットからの引用なので練習場からのアングルになっております)。

スパルタンズの由来 
消失した画像の代わりに、大学でいただいた資料から、チーム名がスパルタンズとなった経緯についてご紹介します。

 1925年、ミシガン州立大学はそれまで名乗っていたミシガン農業カレッジを、ミシガン州立カレッジへと変更することにしました。
それに伴ない、カレッジ当局はその当時のチーム名、Aggies に代わるチーム名をコンテストで選ぶことにし、The Michigan Staters が選ばれました。

 ですが、当時の Lansing State Journal のスポーツ記事編集者、George S. Alderton は、別の名前に差し替えようと画策します。
彼は、係員に連絡をし、コンテストの応募がまだ残っているか確かめ、その中からスパルタンズという名前に偶然出会い、これを使うことを決心、そして、誰がこの名前を応募をしたのかを書き留めるのを忘れた、とされています。

 その後、1926年に行なわれた、サザンベースボールトレーニングツアーの試合結果を執筆する頃から、Alderton は徐々にスパルタンズという名前を使っていき、更に後になってから、思い切って記事の見出しにも使うようになりました。
また、Lansing State Journal のライバル紙、Lansing Capitol News が、スパルタンズを紙面に取り上げたことで、名前がより浸透していき、学生出版物が使い出した時点で、それは揺ぎ無いものになった、とあります。

 名前を差し替えようとした動機、本当にスパルタンズという名前を偶然に応募の中から見つけたのか、本当に応募した人の名前を書き忘れたのか、といった疑問は残りますが、ミシガン州立大学のチーム名がスパルタンズとなった背景には、このようないきさつがありました。

グリーン&ホワイト
また、ミシガン州立大の公式カラーである、グリーンとホワイトの始まりについてふれておきますと、詳細は不明とありますが、現在、大学でわかっている関連事項2点をご紹介します。

1899年 4月11日のミシガン農学大時代のアスレチック部門の記録には、同部門がスリート達に着てもらえるよう、緑色の図案化したものを採用することに決定し、それを着て大会でプレーした、とあります。

さらに、この2色が広く使われるようになったのは、学校初の常勤のアスレチックディレクター、Chester L. Brewer が着任した1903年の頃だと言われています。
ちなみに、この人物は、フットボール、バスケットボール、ベースボール、陸上のスパルタンズと、その当時、存在した大学代表チーム全てを監督していました。

残念ですが・・・
ここでミシガン州立大学の旅行記はひとまず終わります。
最大容量のメモリーカードの使い始めで、まさか記録できない状況が起こるとは・・・。残りは、最小サイズの予備メモリーカードだけで、これを次の取材地DUKE大学で使うことにしました。メーカー純正部品を利用してもこうしたことが起きてしまうと、デジタルデータは復旧させることが極めて困難です(0か1かの制御なので)。
みなさんもご注意を。

次回、DUKE大学に続きます。

おまけ
 ミシガン州からノースカロライナ州へ移動する飛行機の中でのことです。
飛行機を使っていると、天候状況などでいきなり欠航や遅延が生じたり、機材不良のため出発時刻が遅れたりすることがあります。
中でも稀に、機材不良のため当初予定していた中型機から大型機にかわることもあります。
当然、小型よりも大きい機体の方が、機内設備が豊富であることが、しばしばで、私も含め周りのお客さんも思いもかけない変更にちょっと嬉し顔です。

 この日は国際線でも使う機体が代わりとして使われました。席も多く、ビデオ上映の機材も積んでいます。
離陸し終わると、ビデオの上映が始まりました。
タイトルは、『日本の伝統芸能』で、歌舞伎を特集した物です。
乗客のみなさんほとんどが、アメリカの方のみのようで、馴染みのないせいか画面に見入っています。
そして、時折、私と目があった方は、
「歌舞伎みたことあるか?」と気さくに話しかけてくれたり、
「あなた日本人?今の画面に映っていたあれ何?」と問いかけてくれます。
英語の字幕がないため尚更なのでしょう。

 と、その時、歌舞伎を演じていた役者さんのインタビューが始まりました。
デビューするまでの苦労や努力など、それまでの経緯を涙ながらに語っています。

「Oh KABUKI actor・・・」

言葉はわからなくても、その会見で見せる役者さんの表情や流す涙が、乗客からこんな声を誘っています。
画面の中で語り続ける歌舞伎役者さん、そして話題はそれまで自分を支えてくれた奥様に。
「では奥様にもお話をうかがってみましょう」というナレーションと同時に、奥様の顔が映し出されます。
すると、なぜかいきなり拍手が。

「Oh! KABUKI actress!!」
(え?)
「あの日本女性、歌舞伎女優さんなんでしょ?」
「でも、俳優さんがあのメイクの割に、女優さんはずいぶん地味なんだね」
(ええっ?)
確かに「ちょっと厚化粧かな」と感じられる一般の日本女性が、そこには映っています。
悪いことに、スクリーンや映写機の調節の影響か、全体が白く映り気味で、白く化粧した女性の顔が尚更白く映っています。この顔の白さ(厚化粧)に、アメリカのみなさんは、画面中の女性が一般人にも関わらず、完全に歌舞伎役者と勘違いしています。
慌てて、女性が一般人である、と訂正しようとしましたが・・・

「No! No! She is his partner」
“違います。彼女は彼のパートナー(伴侶)です”と言ったつもりが
「おおそうか、やっぱり彼のパートナー(同僚)なんだね?」

私のつたない英語力では、咄嗟の出来事にいい説明をすることができず、とんでもない誤解を残したまま、ノースカロライナ州へ向かうことになりました。
今思えば普通に“She is his wife”と言うべきでした。
次回、デューク大学編に続きます。

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