レプリソーム旅行記 Vol.18 Hall of Fame prt2 Michael Jordan
- マイケル・ジョーダンコーナー
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マイケル・ジョーダン選手のコーナーです。
看板などなくても、画像のように柱に描かれたジョーダン選手の姿で一目瞭然になっています。
ポスターにもなったこのデザインは、ご存知の方も多いと思います。
- 上に・・・
- その柱(画像中の右側)の上の方に何か見えます。
- ジョーダンのジャージ
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レイニー高校からのジョーダン選手のジャージが掲げられています。
高校では、身長が足りないという理由から選抜に選ばれず挫折を経験した後、頭角を現して、鳴り物入りでノースカロライナ大学に入学し、最初のザ・ショットをジョージタウン大戦で決めます。
ブルズ入団が決まり、プロに完全移行する前のロス五輪では活躍しました。
- ジョーダンのジャージ その2
- 華々しいキャリアを代表するジャージ3種です。
一番左、先ほどのスローンHCと同じデザインのジャージ、左足の骨折を経験、オールスター戦で自ブランドのウェアや金のネックレスを着用して若さ故の失態、個人成績で63得点しても直接チームの躍進につながらないなど、活躍の半面、苦労の多い時間でした。
バルセロナ五輪のジャージを着る頃には、優勝を2度経験しており、NBAと自身の名前を更に世界中に知らしめたのはご存知の通りです。
そして、ジョーダン選手のジャージで最も有名なブルズのアウェイカラーのジャージです。
- ジョーダンのジャージ その3
- こちらは All Star のジャージですが、となりにウィザーズのジャージがあることから、1985年の
All Star と同じデザインだった、2003年の
All
Star ジャージと思われます(背面にウィザーズのロゴがあれば2003年のものになるのですが、確認できませんでした)。
マリオン選手をかわして、最後のザ・ショットを披露した、あの瞬間も今はもう7年以上前のことです。
- ジョーダンの言葉
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こちらは、ジョーダン選手の後姿をとらえたものです。
左右の両側に、白く横線がたくさん見えますが、これはジョーダン選手がこれまでのキャリアで受賞した、MVPやスラムダンクコンテスト優勝などをリストアップしたものです。
また、この箱状の物の横には、画像下に流れるような文章が書かれています。アメリカではCMで流れていました※。
「私は、キャリアの中で9000以上のショットを外し、およそ300の試合をものにすることができなかった。
試合に勝利をもたらすと信じてもらって、シュートを試みたが、26回ことごとく外した。
そして人生の中で、何度も失敗を経験してきた。だが、これこそが私を成功たらしめた所以である。」
意訳は、上記の通りですが、「チャレンジしないことには、失敗も成功もあり得ない」というニュアンスが伝わってきます。アグレッシブで勝利に強くこだわるジョーダン選手らしい言葉です。
※「 The Man 」 宮地 陽子 著 日本文化出版
P263
- ジャージの下には
- 先ほどのジャージの下には、赤い縁の額に入れられたジョーダン選手の写真が掲載されています。
- 90-91シーズン
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マジック・ジョンソン選手率いるレイカーズが相手の、91年ファイナル。初戦は、大学の先輩サム・パーキンス選手による逆転3ポイントを決められ1点差に泣きましたが、後に語り草となる、空中で右手から左手に持ち替えて決めたザ・ショットを披露して、悲願の初優勝。
トロフィーに顔をうずめる様子からも、どれだけ待ち望んだことかが、うかがえます。
- 優勝リング
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そして、それぞれの写真の下には、その年の優勝リングが飾られていますが、上のウィザーズのジャージ同様、照明と撮影距離・角度の問題で、全ては撮影できませんでした。
- 91-92シーズン
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滞空時間が長いダンク、SGという同じポジションから、しばしば比較されたドレクスラー選手率いる、ブレイザーズとのファイナル。
上の画像、初優勝の時と違い、表情に余裕が見えます。
- 92-93シーズン
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ラスト数秒、ジョン・パクソン選手の3ポイントで決まった、バークレー選手率いるサンズとのファイナル。
ルーキーからの人気に加え、エアジョーダンシリーズの人気、ドリームチーム、人気の絶頂だった頃です。
多忙を極め、シーズン終了後に最愛の父親を亡くした時でもありました。
バスケットボールの神様でも、少し疲れを感じるのも無理はなかったのかも知れません。
- 95-96シーズン
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NBA復帰後、初のファイナル。
相手は、ショーン・ケンプ選手とゲイリー・ペイトン選手率いるシアトル・スーパーソニックス(現サンダー)。
父を失い、野球での挫折、かつての仇敵ともいえるロドマン選手の加入など、紆余曲折を乗り越えての96年ファイナルだけに、4度目とはいえ、今までと異なるファイナルだったのかも知れません。
この1つ前のシーズン、94-95シーズン終盤では背番号45のジャージを着用してプレーしました。
- 96-97シーズン
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カール・マローン選手とジョン・ストックトン選手らが中心となった、ユタ・ジャズとの97年ファイナル。
食中毒を押しての出場、それまで弱い姿を見せなかったジョーダン選手だけに、ピペン選手に抱えられてコートから出る姿が印象的でした。
- 97-98シーズン
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そしてキャリア最後のファイナル、前季同様、対戦相手はユタ・ジャズ。
ブライヨン・ラッセル選手をかわしての、最後のザ・ショットを決めて優勝。
この優勝を機に、当時のブルズは解散の方向へ向かい、活躍した選手も各々の道へと進みます。
- お向かいの壁に
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こちらは、上の写真が飾ってあるお向かいです。
スラムダンクコンテストでの、フリスローレーンダンクの様子が壁一面に描かれ、更にその壁には、ジョーダン選手のキャリアをタイムラインで描き、その時その時を象徴する物が飾られています。
- Buccaneers
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計7色で「Buccaneers」と書かれた本。
特に説明はありませんが、ジョーダン選手の母校、レイニー高校バッカニアーズ(Buccaneers)に関する書籍のようです。
最下段にはブラックの文字で、「Buccaneers
1981」と書かれていますので、ジョーダン選手が在籍していた当時の書籍になります。
ジョーダン選手のバスケットボールキャリアは、この高校での挫折から始まります。178cmの身長が原因で代表チーム選抜から漏れたのでした。
2年生(日本の高校1年生)の時です※。
※「 The Man 」 宮地 陽子 著 日本文化出版
P13-15
- マクドナルド・オールアメリカン
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こちらは、マクドナルド・オールアメリカンのジャージです。「JORDAN」の文字下のロゴマーク「M」には馴染みがあります。
選出に漏れたその後191cmまで身長が伸び、チームこそ優勝には遠い場所にいたものの、選手として知名度が上がり始めたのは、この頃からでした。
- ショーツ
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バスケットボールにXL、そしてノースカロライナ大学のイニシャルUNCがプリントされたショーツ。
NCAAでのザ・ショットを決めた時には、このショーツを着用し、当時からの縁起をかついで、プロ入り後もジョーダン選手は、ブルズのショーツの下にこのショーツを着用していました。
- $5000 Fine
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みなさんもよくご存知、エアジョーダンI。
漫画、「
SLAM DUNK 」の主人公、桜木花道がシリーズの最後に履いたシューズとしても有名です。
シューズ上に「 $5000 Fine 」と書かれ、更に、その背景にはグレーカラーで、×が書かれていますが、このシューズの、ブラック×レッドのカラーリングが、当時のオフィシャル・ユニフォームのルールにふれて、試合でこのシューズを着用するたび、$5000の罰金が科せられた経緯があります。
この罰金は、NIKE社で肩代わりしたと言われています。
- スパイク・リー監督
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こちらは、スパイク・リー監督の頭をジョーダン選手がまたぐように歩いている箱に、「NIKE
Trading Cards 」とあります。
中には箱と同じ柄のカード、共演したCMでもお馴染みの、ジョーダン選手がスパイク・リー監督の頭を掴んで持ち上げている、あのシーンを捉えたカードが入っています。
- ドリームチームI
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このボールは、ドリームチームIのメンバー全員のサインが入ったボールです。
このチームが参加した、バルセロナ五輪では、ドリームチームはもちろん、今は亡きペトロビッチ選手や、後にNBAへやって来る、クーコッチ選手、サボニス選手といった、近い将来のNBAを担う選手達の活躍も見られた、オリンピックでした。
- Baseball
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ドリームチームIとスリーピート(3連覇)を経験した後に、挑んだベースボール。
画像は、その時にジョーダン選手が使用していたグローブを銀で模したレプリカです。「Michael
Jordan」と名前が入っています。
- Space Jam
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アメリカでは、再びブルズがNBA王者に返り咲く、96-97シーズンに公開された、映画「Space
Jam」。
ストーリーは、ジョーダン選手がバックスバーニーらと共に、バスケットボールで宇宙人と対戦するというものですが、画像はその劇中でバックスバーニーが履いていたとされる、専用のエアジョーダン7です。
足首のJumpman マークがバーニーのシルエットになっています。シカゴのNIKE Town でも見られましたが、ここでもお目にかかることが出来ました。
- Air Jordans
- そして、もう少し進んだ奥には、これまでに発売された、エアジョーダン・シリーズが飾られています。
- 実はさっきの柱は・・・
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ところで、冒頭の両手を広げたジョーダン選手がプリントされた柱ですが、実はこれは単なる柱ではなく、中が空洞の暗室になっており、そこではジョーダン選手のキャリアを紹介する映像が流れています。
画像はその入り口です。
- 中は・・・
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中の壁には・・・というには暗いので、誰もいないタイミングを見計らってフラッシュ撮影した画像もアニメータにてご紹介します。
壁には、ダンクやダブルクラッチなど、かつてのジョーダン選手の活躍をおさめた写真が飾られています。
- 動画です
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それでは、撮影時にちょうど流れていた、背番号45をつけてNBAへ戻ってきたところから、97年ファイナルでピペン選手に抱えられてコートを出るシーンまでをご覧下さい。
- 上映室の壁
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上映室から出ました。
画像は、上映室の壁、両腕を広げたジョーダン選手がプリントされている、あの壁です。
- ジョーダンの言葉 その2
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その壁づたいに、ジョーダン選手→上映室入り口、と回ってくると、このメッセージが書かれた場所に出ます。
意訳は下記の通りです。
「どこかで、我々が成し遂げてきたことを更に越えようとする子供がいる。
それは少し時間のかかることかも知れないが、私が過去に行なった方法で試合に臨むことだろう。
彼は横着をせず、怠けたりしない。
彼は恐れたりしない。
彼は、私が他人から学んだように、私から学ぶことだろう。
進歩は限界を知らない。
バスケットゴールの高さが変わったりしない限り、彼は私を超える偉大な選手になるだろう。」
ジョーダン選手が、後輩や自分を見てバスケットボール選手を志す後世の人々に向けたメッセージが書かれています。最後がユーモアで締められているのが印象的です。
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