レプリソーム旅行記 Vol.16 シラキュース大学

つながっています
ロイ D. シモンズ・シニア・コーチーズ・センターの敷地に入りました。実は、この建物とカーメロ K. アンソニーバスケットボールセンターは、つながっています。
画像は、その内部のつなぎ目です。右手には男子の「Meet The Orange」のコーナーが見えます。

名前が長いので、ロイ・シモンズ・センターと略します。
ご了承を。

ビルの外観
画像は、ロイ・シモンズ・センターの外観です。
カーメロ K. アンソニーバスケットボールセンターに向かって右隣にあり、画像中、この建物の正門が見えますので、改めて入ってみることにします。

入り口では
正門から入って、最初に出迎えてくれたのはこれです。
グッズでもお馴染みの「S」のロゴと、ネイビーカラーの文字で「Syracuse Home of Champions」と書かれたオレンジ一色の壁です。

大きさ
このSロゴは、非常に大きく、そして高さもかなり天井に近いところまで届いています。

さらに
また更に、ロイ監督の彫像が出迎えてくれます。

やはりラクロス
全米チャンピオンと、Big Eastチャンピオンとが混在していますが、優勝プラークが飾られています・・・が、キャリアドームでもお伝えしました通り、優勝回数の多いラクロスが中心となって飾られています。

メモラビリア
その他にも、ショーケース内には選手が使用・着用していたと思われるボールやシューズなど、各種目の思い出の品々が納められています。

男子バスケットボール
こちらは男子バスケットボールのコーナー。
シューズ、ボール、#51のジャージが飾られており、壁面にはカーメロ・アンソニー選手と、デリック・コールマン選手とがプリントされています。

Orange Culb
「Orange Culb」とあるこちらは、ここで働く方々のオフィスです。
中に入って撮影許可を願い出ますが、ここはコンテンツではなく、職場のためNG。

みなさんのデスク上にある、シラキュース大学のロゴが入った色々な小物が気になりますが、お仕事の邪魔をしてはいけないので、ここをあとにします。

ここは?
こちらは上でご紹介したオフィスの、ほぼお向かいにあります。
壁に大きく描かれた「Syracuse」の文字、気になるので中に入ることに。

Roy Simmons Educational Center
逆光で画像が見難いと思いますが、トビラをくぐって中に入ると、ここは、「ロイ・シモンズ・エデュケショーナルセンター」という施設です。

廊下です
入室して廊下に出ると、両側の壁には色々な物が納められていたり、掲載されています。
見てみましょう。

写真
種目を問わず、学生さんたちが活躍している場面を写した写真が額縁に入れられ、いくつも飾られています。

College Team Academic Award
「カレッジチーム・アカデミック・アワード」という賞を贈られた各種目のチームが飾られています。

この賞が具体的にどういった内容なのかについては、記載されていないので、想像の域をこえませんが、明らかに異なると思われるのは、優勝トロフィーやMVPのように、アスレチックチーム・選手としての活躍や技量を褒め称えたものではないということです。

アスリートの価値・評価
こちらの壁には、選手がプレーの仕方を子供達に教えている、選手と思われる人物が教室で子供達に何か語りかけている場面など、色々なシーンを写真におさめ、掲載しています。

さきほどのカレッジチーム・アカデミック・アワードもそうですが、これらの写真を見ていると、「スポーツも教育の一環である」という姿勢が感じられ、「アスリートを測るものさしは、得点力や守備力の数値だけではない」という気にさえなります。

オットー
こちらは出口付近の床に置いてあった箱です。
あまり目にする機会がありませんが、ノースカロライナ大学の羊、DUKE大学のブルーデビルと同じく、シラキュース大学のマスコット、オットーです。
かわいらしい顔をしていますが、悪い顔をしたバージョンもあります(どういう時に使い分けがなされるのか、知りたいところです)。

なぜオレンジ?    

 時に、オットーは柑橘類のオレンジがモデルなのですが、なぜシラキュース大学のチーム名とマスコットがオレンジなのでしょうか。
冒頭でもご説明しました通り、トロントが目の前という北方に位置していることで、およそ柑橘類がとれる温かい気候とは考えがたいのに、なぜに柑橘類のオレンジ?。

 シラキュース大学のマスコットがオレンジになる起源は、The Syracuse Orange Peelの1931年10月号に掲載された、冗談の嘘記事から始まります。
同紙は、『1928年に新しい女性のジムを建設する際、16世紀終わり頃のOnondaganの偉大な酋長、The Saltine Warrior ビル・オレンジの遺体が発掘において見つかった』と、大学の敷地からビル・オレンジ酋長の遺体発見とデマを報じてしまいます。
ですがこれがきっかけとなって、1951年には、遺体が発見された場所に彫像を設置することになり、学生達がその彫像を競って作るなど、シラキュース大学と、Saltine Warriorのつながりの始まりでした。

また、The Saltine Warriorという言葉ですが、酋長の名に使われたほど、シラキュースが塩の街として有名なことに由来しています。そして、その偉大な酋長にあやかったエピーソードも存在し、これが後の「シラキュース大学にマスコット不在」という状況を作り出してしまいます。

 1950年代の中頃、Lambda Chi Alpha友愛会メンバーの父がチアリーダーのキャンプを行ない、その父親は、Saltine Warriorの衣装を息子のためにあつらえ、フットボールの試合応援のために着せました。これが、Saltine Warriorの衣装がアスレティックチームの応援に使われるようになった始まりです。
ですが、1978年になって、ネイティブアメリカン(インディアン)学生団体のメンバーらが、Saltine Warriorをアスレティック・マスコットとして使うことに対しての抗議を起こします。
「Saltine Warriorの衣装を着た人物が、狂ったように走り回るパフォーマンスが軽蔑的である」と述べた、1958年の卒業生でラクロスのスターだったOnondaganの酋長、Oren Lyonsの言葉通り、Saltine Warriorの扱いが問題となって、抗議が起こった同年内には、Saltine Warriorをマスコットから外し、新しいマスコットの模索が始まりました。

 1978年に一時、ローマ時代の拳闘士のスタイルが起用されましたが、このマスコットが最初に登場したフロリダ州立大学とのフットボールの試合で 28-0の大敗をし、すぐに使われなくなりました。
その後も数年にわたって、Egnaro の怪物、スーパーマンのような人物、オレンジ色のタキシードをきた男性といった、色々なマスコットが引き続き提案・起用されましたが、いずれも定着しませんでした。
1984年までに、このマスコット不在の問題が広く知れ渡り、更に様々なものが寄せられます。

 ・ドームレンジャー (オレンジカウボーイの服装に、青いマスクをした保険外交員)
 ・ドッムエディ (エルトンジョンのメガネと、光り輝くカツラを身に付け、オレンジのスウェットを着た人の形をしたブヨ)
 ・Beast from the East (蛍光色の緑色をした怪物)
 ・オレンジ (2本の足が生え、ハチがたかっている酔っ払ったオレンジ)
 ・家庭菜園のニンジンやかぼちゃ
 ・矢がたくさん刺さった巡礼者
 ・オレンジ色のスカーフをしたペンギン
 ・オランウータン

この頃にはすでに、オレンジ色の何かを身につけた●●、柑橘類のオレンジがマスコットの候補に登場し、学生達が『オレンジ色』にこだわっているのが窺われます
特に当時から、柑橘類のオレンジには固有の名前がつけられており、最初に作られたオレンジには『クライド』、2番目に作られた物には『ウッディー』と名づけられ、1990年に作られたオレンジのために、『Opie』か『Otto(オットー)』の名前を選ぶことになります。が、Opieは「麻薬にかかった」を意味する dopeyという言葉を連想させるため、最終的に現在のオットー(Otto)になり、これが定着しました。

 1995年、ショウ学長はアスレティックチームの応援ためのマスコットを決めるよう、計18名の学生・職員・スタッフからなる委員会に要請します。その年の秋、狼・ライオン・オレンジにまで候補を絞り込んで、委員会は狼を推奨しますが、学長に対して「オレンジを公式マスコットとして保持してほしい」という陳情が学生達からなされ、同年12月、ショウ学長による宣言により、オットー・オレンジは大学の公式マスコットとなりました(後の1997年の5月にも、在校生・卒業生・教授・スタッフらは、オットーを公式のオリジナルとして認めるかについて選挙した、とあります)。

こうして近年まで、その存在がおぼつかなかったシラキュース大のマスコットは、こうした複雑な事情と経緯をたどって、現在に至っています。

入り口でもあり、出口でもあり
ここは、ロイ・シモンズ・エデュケショーナルセンターの出口ですが、画像の通りです。
「ここから先、Syracuse Home of Championsです」とあります。つまり、ロイ・シモンズ・エデュケショーナルセンターの入口は、Syracuse Home of Championsの出口でもあり、両者の出入り口は表裏一体というわけです。

画像には写ってはいませんが、実は左手には勉強用のデスクとPCが置いてあり、数名の学生さんが勉強されていました。
中には嫌そうな、浮かない顔をしている方もいるので、文武両道が普通のアメリカでも、大学や社会の思い通りには、なかなかいかないケースもあるようで、ここはどうやらアスリート達のための寺子屋とでもいうべき場所でもあるようです(ここは主にオフシーズンの選手らが勉強するために使われます)。